アバディーン珍道中記 2003年 7月25日(金)
5:30 妻は東京に行っているので息子だけを残して家を出る。妻は今日中に帰宅する予定だ。8月11日無事にもう一度この家に帰って来れるだろうか?娘は大きい方のトランク、私は小さい方のトランクに、アバディーンの事を何も知らない二人は半袖と半ズボンをたっぷり詰め込んである。
トランクを交代して持って阪急門戸厄神の駅まで歩き始めるが、思っていたよりこれが大変だった。しかしこの時間ではタクシーは拾う事も電話で呼ぶことも出来ない。歩き始めるまでは、そんなに大変だとは思っていなかったのでタクシーのことなど考えても無かった。
6:30 阪急西宮北口発関空行きのバスに乗る。JR西宮、阪神西宮と西宮を一周してから関空に向かう。
7:30 関空着。いつも、ニューヨークのミュージシャンを見送りの際、手続きするのを外から見ているだけのカウンターに今日は自分自身が並ぶ。
トランクを預けて、空港の銀行にて両替する。\200,118を£990(ポンド)に換える(手数料も含めて£1=\202)。さらにアムステルダム用に \4,272を30ユーロに換える(1ユーロ=\142)。この£50札19枚が現地で私を悩ませる事になるとは、この時、知る由も無い。空港内の化粧品屋で娘は鏡やスリッパや色々買ったが、まだ円が使えるし、もちろん店員は日本人だ。
暫く日本食を食べられないだろうから蕎麦屋に入る。ここで、以前ドラムのビリー・ハートを見送る際に一緒に天ぷらうどんを食べたことがある。同じく天ぷらうどんを注文したが、朝食タイムで出来ないと言うので狐うどんに変えた。娘は和定食を注文し、「多いから残ったら食べてくれ」と言っていたのに全部食べてしまった。
10:20 関空発。アムステルダムへと向かう。約10時間で到着予定。途中何回も食事や飲み物がサービスされる。バレエのためダイエットの必要な娘には頻繁過ぎる回数だ。しかも座ったままなので運動不足だ。アルコールは辞めているのでコーヒーやジュースを飲んだ。距離9千数百キロ。アジア、ヨーロッパを飛び越える。娘は酔い止め薬が効いているのか良く眠る。
15:15 (日本時間 8:15) アムステルダム着。着陸の際に娘は酔い、トイレでもどす。ここで5時間待ち時間がある。大きいピザを食べたりウィンドウ・ショッピングしたりするが、時間はなかなか進まない。寿司バーもあり、高い寿司を数人が食べていた。
パソコンがあったので家にメールを送ろうとするがパスワードがわからない。後に解ったが、有料でそのパスワードの書いてあるレシートを買わなければならないのだった。
ここのトイレは背が高すぎてし難かった。何故か便器の中に一匹のハエが描かれている。心理的にそのハエを小便で流したくなるが、命中しても流れない。隣の便器にも同じハエがいた。
心地よいリクライニング・シートのある休憩所があったのでそこで暫く寝た。
20:00 アムステルダム発。日本人は我々2人だけだった。1時間半で到着予定。入国者カードを機内で配っていたのに気がつかなかった。
20:30 (アムステルダム時間 21:30、日本時間 12:30)アバディーン到着。入国ゲートで入国カードに記入し、入国管理官の女性に色々質問される。もう1組インド人のような家族がいたが簡単に入国していった。
観光目的で16日の滞在、ホテルの名前を書いた紙。それしか準備していた答えは無かったが。「16日間もアバディーンにずっと居るのか」と聞くので「アバディーン・インターナショナル・ユース・フェスティバルを見たいので、ずっといる」と答えたが、納得いかないようだ。娘が参加すると言えばよかったのだろうか?しかし、私と娘が別行動と言うと不審がられそうだ。しかし、嘘はついていないのでそのまま押し通したら時間がかかったが入国する事が出来た。入国の際には「仕事だ」とか、「友達が居る」とか言わない方が良い。「観光と休暇を楽しみに来た」で押し通すべきである。
荷物受け取り所には2つのトランクだけが寂しそうに我々を待っていた。人影は一人も無い。我々が出ると空港のゲートは閉じられた。タクシーを乗り場で拾ってホテルへと向かう。何日滞在するのかとか、始めて来たのかとか入国管理官のように運転手も質問するが適当に受け流す。夜の9時だというのに6時ごろのようにまだ明るい。
21:30 Hotelに到着。タクシーのメーターが12に見えたので£15渡すと運転手は逃げるように走り去った。たぶん多かったのだろう。
門から入り口まで坂になっており、きれいな花がいっぱい植えてある。入り口で奥さんが迎えてくれた。ノートを見せて、Okawaの文字を指差したので「YES」の返事で我々も奥さんも安心した。日本のペンションのような可愛いホテルだ。
すこし外を散歩したが右も左も解らないので直ぐに部屋に戻った。シャワーを浴びてベッドでリラックスした。娘は言葉がわからないのと、明日から私と離れて2週間、外人ばかりの中で暮らす生活に相当不安を感じたようで、辞書とノートを出して、「今は、何をする時間?」とか「辛いものは食べられない」などを英語で何と言うのか私に質問し始めた。
明日から娘の試練の始まりである。一人ぼっちの寮の部屋で泣いている娘の姿を思い浮べると、一緒に来て良かったと思った。別々でも同じ街に居る。子離れが出来ない親ばかである。私も2週間もこのアバディーンで一人で如何にして暮らそうかと不安だ。しかし、父娘はアバディーンという名前も知らなかった街のホテルのベッドに今居る。
旅行会社のツアーではない。誰も助けてくれない。明日からどうなる事か?外は夜でも昼でもない不気味な空色である。どこか大震災直後の静けさに似ている。 時々、カモメが鳴いていた。
何とかアバディーンに父娘はたどり着きました。
さて、明日は別れ離れです。
一体どうなりますことやら?
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